MASI 俊樹の旅日記4通目が届いたよ!
久しぶりの野宿から目覚め、曇り空の下を走り出した。
コンビニで朝飯を食っていると、一通のメールが届いた。
「よう。オレはもう到着したからテキトーにこいよ〜」
オレはパスタをオレンジジュースで流し込み、ケータイをポッケにしまった。
動き始めた街中を走っていく。
部活に向かう高校生の群れが見える。
押し車にもたれながら歩くおばあちゃん。
相も変わらず平和な日常の風景。
オレはある場所に向かっていた。
ヤツに会うために・・・・
道に迷いながらもたどり着いた先は、とある仮設住宅だった。
敷地の中央にある建物に入ると懐かしい声が聞こえた。
谷だ。

谷とは去年の旅で出会い、一緒に沖縄を周った。
鹿児島でまたそれぞれの道に進んだが、どっちも九州の山の中で死にかけるという目に合う。
その後、旅を終えてから谷は残った休学期間を利用し各地でボランティア活動を始めた。
オレも12月には谷の誘いでアイスランドへとボランティアに行くことができた。
オレは次々と新たな目標に挑戦していく谷にはいつも刺激をもらっている。
去年の旅が与えてくれたものにとても感謝している。
今回は京都から谷自らが創設したチームで来ていた。
この日は、この仮設住宅で夏祭りが開かれるので、京都から集まった浴衣を届ける任務とかき氷の屋台のミッションがあった。
それにちょうど参加できたのだ。
伝説のタッグ再び!
![183700_308592989238684_1305357520_n[1]](https://livedoor.blogimg.jp/hasirin/imgs/8/5/8507a4bd-s.jpg)
谷チームとの自己紹介もそこそこにまずは敷地の中をふらふらした。
チームは府の職員から謎のおっさんから大学生までの少数精鋭のチームだった。
一時間ほどして会場設営タイムが始まり、手持無沙汰にしていたほかのボランティアたちも仕事が始まり活気が出てきた。
テントを立てたり看板を付けたりと準備はどんどん進んでいき、昼前には完了、いよいよお祭りが始まった。
ここのボランティアセンター通称おだがいさまセンターでは、ラジオも発信しており、お祭りを中継していた。

今日は自転車の旅人が来ています!
とかなったらよかったけど特に何もなく祭りは進んだ。
かき氷の屋台の中では、関西弁が飛び交い、お客さんは福島弁をしゃべるというなかなか言語的にカオスな空間が生まれたが、コミュニケーションはスムースで日本語に無限の可能性を感じた。
ちなみにオレいまいち理解できてなかった(笑)
浴衣のお姉さんも同じ屋台で元気に働いていてテンションも上がった。

ほとんど話していないが・・・・
またか!何で声かけねーんだよ、意気地がねーな!
しかしここで悲劇が起きる。
お祭りも盛り上がってきて、太鼓の勇ましい演奏で場内が盛り上がってきたころ、いきなりバケツの水をひっくり返したような大雨が降ってきた。
瞬く間に水は足首近くまでたまっていき、気温は下がりかき氷どころじゃなくなった。
しかし、それよりも重要なことがあった。
オレは走った。
MASI−ッ!
ってか、洗濯物―ぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!
駆け付けた時にはすでに時遅し。
思わず膝から崩れ落ちそうになったが服がぬれるので何とかこらえた。
近くにあったビニールシートをかぶせ、屋内へ。
降り出した雨は一向に止む気配を見せず、結局お祭りはそこで中止になってしまった。
さらに残念なことに谷とはここでお別れ。
ひさしぶりに杯を交わしたかったのに・・・
だが、悲劇はこれだけではなかった。
その夜は、チームの人たちと、センターの職員の兄さんの家に泊めてもらう事になった。
一同ずぶ濡れなのでまずは銭湯で暖まり、ついでにボランティアのことや京都の事を教えてもらった。
そして、心も体もあたたまり、いざ夜飯を食いに行くとなった時になぜかいやな予感がした。
「!“#$%&‘()=食うか!今夜は!」
「おお!いいッスね!楽しみだな〜!」
ん?なんだって?
よくわからないが、車が到着した先は、
しゃぶしゃぶ食べ放題&飲み放題4000円・・・・。
その夜オレは涙が止まらなかった。流れ落ちる涙を止めてくれる人は誰もいなかった。
‐END‐
走行距離
自然の家〜仮設住宅 10km
この次の日からちゃんと走ります!ごめんなさい!
それってさ、4.000円会費に泣いたのか? しゃぶしゃぶの美味に泣いたのか? それとも奢ってもらった感謝に涙したのか? 訳解らん
獨協大学 外国語学部 英語学科3年
10125389 横村俊樹
【Facebook 始めました】
友達リクエストお待ちしております!
橋本康弘(名前クリックでリンクします)
※Facebook 通信:俊樹!お前はジーンシモンズか?
こんだ、ファイヤーハウスやってみろ!
久しぶりの野宿から目覚め、曇り空の下を走り出した。
コンビニで朝飯を食っていると、一通のメールが届いた。
「よう。オレはもう到着したからテキトーにこいよ〜」
オレはパスタをオレンジジュースで流し込み、ケータイをポッケにしまった。
動き始めた街中を走っていく。
部活に向かう高校生の群れが見える。
押し車にもたれながら歩くおばあちゃん。
相も変わらず平和な日常の風景。
オレはある場所に向かっていた。
ヤツに会うために・・・・
道に迷いながらもたどり着いた先は、とある仮設住宅だった。
敷地の中央にある建物に入ると懐かしい声が聞こえた。
谷だ。

谷とは去年の旅で出会い、一緒に沖縄を周った。
鹿児島でまたそれぞれの道に進んだが、どっちも九州の山の中で死にかけるという目に合う。
その後、旅を終えてから谷は残った休学期間を利用し各地でボランティア活動を始めた。
オレも12月には谷の誘いでアイスランドへとボランティアに行くことができた。
オレは次々と新たな目標に挑戦していく谷にはいつも刺激をもらっている。
去年の旅が与えてくれたものにとても感謝している。
今回は京都から谷自らが創設したチームで来ていた。
この日は、この仮設住宅で夏祭りが開かれるので、京都から集まった浴衣を届ける任務とかき氷の屋台のミッションがあった。
それにちょうど参加できたのだ。
伝説のタッグ再び!
![183700_308592989238684_1305357520_n[1]](https://livedoor.blogimg.jp/hasirin/imgs/8/5/8507a4bd-s.jpg)
谷チームとの自己紹介もそこそこにまずは敷地の中をふらふらした。
チームは府の職員から謎のおっさんから大学生までの少数精鋭のチームだった。
一時間ほどして会場設営タイムが始まり、手持無沙汰にしていたほかのボランティアたちも仕事が始まり活気が出てきた。
テントを立てたり看板を付けたりと準備はどんどん進んでいき、昼前には完了、いよいよお祭りが始まった。
ここのボランティアセンター通称おだがいさまセンターでは、ラジオも発信しており、お祭りを中継していた。

今日は自転車の旅人が来ています!
とかなったらよかったけど特に何もなく祭りは進んだ。
かき氷の屋台の中では、関西弁が飛び交い、お客さんは福島弁をしゃべるというなかなか言語的にカオスな空間が生まれたが、コミュニケーションはスムースで日本語に無限の可能性を感じた。
ちなみにオレいまいち理解できてなかった(笑)
浴衣のお姉さんも同じ屋台で元気に働いていてテンションも上がった。

ほとんど話していないが・・・・
またか!何で声かけねーんだよ、意気地がねーな!
しかしここで悲劇が起きる。
お祭りも盛り上がってきて、太鼓の勇ましい演奏で場内が盛り上がってきたころ、いきなりバケツの水をひっくり返したような大雨が降ってきた。
瞬く間に水は足首近くまでたまっていき、気温は下がりかき氷どころじゃなくなった。
しかし、それよりも重要なことがあった。
オレは走った。
MASI−ッ!
ってか、洗濯物―ぉぉぉぉぉぉぉぉぉお!
駆け付けた時にはすでに時遅し。
思わず膝から崩れ落ちそうになったが服がぬれるので何とかこらえた。
近くにあったビニールシートをかぶせ、屋内へ。
降り出した雨は一向に止む気配を見せず、結局お祭りはそこで中止になってしまった。
さらに残念なことに谷とはここでお別れ。
ひさしぶりに杯を交わしたかったのに・・・
だが、悲劇はこれだけではなかった。
その夜は、チームの人たちと、センターの職員の兄さんの家に泊めてもらう事になった。
一同ずぶ濡れなのでまずは銭湯で暖まり、ついでにボランティアのことや京都の事を教えてもらった。
そして、心も体もあたたまり、いざ夜飯を食いに行くとなった時になぜかいやな予感がした。
「!“#$%&‘()=食うか!今夜は!」
「おお!いいッスね!楽しみだな〜!」
ん?なんだって?
よくわからないが、車が到着した先は、
しゃぶしゃぶ食べ放題&飲み放題4000円・・・・。
その夜オレは涙が止まらなかった。流れ落ちる涙を止めてくれる人は誰もいなかった。
‐END‐
走行距離
自然の家〜仮設住宅 10km
この次の日からちゃんと走ります!ごめんなさい!
それってさ、4.000円会費に泣いたのか? しゃぶしゃぶの美味に泣いたのか? それとも奢ってもらった感謝に涙したのか? 訳解らん
獨協大学 外国語学部 英語学科3年
10125389 横村俊樹
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橋本康弘(名前クリックでリンクします)
※Facebook 通信:俊樹!お前はジーンシモンズか?
こんだ、ファイヤーハウスやってみろ!