きのうの続き

零による「里帰り飛行」は1978年と1995年の2度実現された

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これは95年のゴールデンウィークに茨城県竜ケ崎市にある半田飛行場(セスナなどが飛ぶ小さな飛行場)で行われた時のスナップ。

この飛行場は橋輪から30km位の距離にあって、小学校のころ自転車で行って、整備士の人にセスナの古タイヤを貰って荷台に括り付け、喜んで帰ったっけ


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機体マークの違いは78年来日の際、木更津でで塗り替えられている為



なんと上野健久氏ひきいるRED BARONエアショーは、P51Dムスタングも持ってきた

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ギヤダウン・フラップダウンでランウェイ08にアプローチするP51D。
脚が出た後すぐに閉まってしまう、ビカビカに磨き上げられた脚カバーの内側を捉えたショット。
飛行機足フェチにとってはたまらないアングルだ。
このムスタングもプレーンズオブフェーム所有。



   一生忘れる事のできないイベントとなった

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これらは、ぼくの資料だがVector.Yが見たゼロ戦を操縦したパイロットは左のスティーブ・ヒントン氏だろう。
プレーンズオブフェーム航空博物館の館長だ。
そして右がムスタングをオペレートした同博物館に勤務するケビン・エルドリッチ氏。
この二人、強運の持ち主でそれぞれが墜落事故に遭遇しながらも生還している。


         (画像クリックで拡大)
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この記事は、リノエアレース(こちらはチノではなくネバダ州リノ)において、数々のレコードを打ち立てたスティーブ・ヒントン駆るP51Dムスタング改造レーサーRB51 RED BARON(レースNo.5)が79年にクラッシュした時の記事。

「機が墜落して行く中、スティーブが恋人に向けた、永遠の別れのメッセージが、パイロンジャッジの持つレシーバーから流れてきた。そしてややあってから大きな黒煙が上がった・・・・・。」と伝えている。

しかし奇跡は起こった。地上に激突しバラバラになった機体の、コックピットのあった胴体中央セクションがちぎれ、飛ばされた為に重症は負ったものの奇跡の生還をとげた。



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こちらは、F4U コルセア 改造レーサーSUPER CORSAIR  (レースNo.1)。
翼端を短く切り詰めた機体に強力なP&H  R-4360 ワスプメジャーエンジンを搭載し1985年にみごと初出場初優勝を飾る。

そして悲劇が起こったのは、1994年のフェニックス500エアレース。
ケビン・エルドリッチの操縦するスーパーコルセアは、エンジントラブルから大火災が発生、ケビンは何度も消火を試みるが、やむなくペイルアウト。パラーシュートが開くと同時に黒煙が上がり機は失われた。

この墜落したコルセアに、ケビン・エルドリッチが搭乗していたという情報は、何故か雑誌Lightningで得た。(当時インターネットなる物は一般には(ぼくだけか?)普及していなかった)

去年の8月にVector.Yとホルモンパーティーした際に、「今度一緒にリノ行きましょう」と約束した矢先の9月16日、アンリミテッドクラスでギャロッピングゴーストがメインスタンド前のビップ席に突っ込み観客を巻き込んでの大惨事となった。今後レースは再開されるのだろうか?



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95年RED BARONエアショーの表紙を飾った航空ファン

7月号は竜ケ崎で、10月号は、その後北海道にフェリーしてショーを行った記事。
たしかこの前にもう一冊あったはずだが見つからない。
4月18日にプレスオンリーの記者公開にダイナベクター(アレックスモールトン総輸入元)の富成次郎さんと行った時の記事だ。(次郎さんは、筋金入りの戦闘機マニア)
パイロットジャンプスーツを着て行ったら、スティーブ・ヒントンに「おまえもパイロットか」と言われ握手を受けた。


でもぼくは、ゼロ戦は好きではない。坂井三郎は尊敬するが。



しかしこの二日間のブログで自転車って文字が3回しか出てきてない。

       飛行機屋か? 自転車屋じゃないのか?

          だいじょうぶか?橋輪