甲子園で会った71歳現役自転車乗りと、17日振りの再会

軽トラのドアップ。
 
 
 
一瞬なぜこんなところで寝ているのかわからなくて考えてみる。
 
 
でかいエアコンの室外機の風にあてていた洗濯物がくさい。
 
 
 
とりあえずいつも通り片付けて出発。
 
 
コンビニで焼きそばとチャーハンを腹一杯完食。
 
 
すると、神戸であった方から電話が。
 
 
 
行きの甲子園であった方と、帰りに京都を走ろうと約束していたのだ。
 
 
 
とりあえず今日は大阪で野宿しますと伝える。
 
 
 
そして、走り出した。
 
 
 
2号線をひた走る。
すぐに峠があるのでちょっとビビりながら走っていたが、
 
 
全然大したことのない峠でひと安心。
 
 
だが、雲行きが怪しい。
 
なんとしても雨が降る前に大阪まで行きたい。
 
 
 
 
30km程走った所のコンビニで休暇をしていると、
 
メールが一通。
 
 
 
今夜は神戸の我が家で一泊してください。
 
 
 
 
ぉぉぉぉぉおおお!!
 
 
今夜は久しぶりに布団で眠れるぞ!!!!
 
 
一気にテンションが急上昇した!
 
 
 
神戸までは100km位しかない。
これならすぐに着くじゃん!
 
 
喜び勇んで再出発。
 
 
 
後々考えてみると自分の距離に対する感覚は確実に常人とは異なっていた。
 
 
100kmが近いと思うのは幸せなのかなんなのか…。
 
 
 
少し走ると、
またバイパス地獄にはまった。
 
 
とりあえずすぐ下の側道を行く。
 
 
 
15分ほど順調に走っていたが、
 
 
 
いきなり目の前に現れた・・・・・・・・壁。 
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そして、絶望。
 

国土交通省に電話かけて怒鳴り付けようかと思った!!


右はものすごい古い民家が立ち並ぶ迷路のような道。
 
左は田んぼの畦道みたいなすごく細い道。
 
 
 
無難に右を攻めてみたが、30秒で断念。
 
 
 
左を攻めてみた。
 
 
細い道を慎重に進む。
 
 
 
さらに左に行ったら行き止まり。
 
 
引き返して右に行くと道に出た。
 
 
そこをさらに走る。
 
 
 
果たしてこの道はどこに行くのか。
 
 
 
とりあえず男の勘で走り続けた。
 
 
 
不安とイライラでかなり辛かった。
 
 
ようやく自分がどこにいるのか判明する。
 
 
 
2号線と海の丁度真ん中辺りのわけわからん所だった。
 
 
 
とりあえず地図とにらめっこで修正案を検討する。
 
 
ようやく軌道に乗り始めた所でついに大雨が降ってきた。
 
 
一瞬にしてずぶ濡れになる。
 
 
すぐにコンビニを見つけ、
 
ものすごい狭い軒下に潜り込む。
 
 
 
雨は当分止みそうに無い。
 
バッグからおばちゃんにもらったリンゴを取り出す。
P1340008
 
 
まだリンゴの時期じゃないだろうけど、
それでも十分旨かった。
 
雨を見ながらシャリシャリと食べ進めていった。
 
 
 
ついでにせんべいも食べる。
 
 
 
1時間程でようやく雨が止み、
水溜まりに靴を濡らされながら走った。
 
 
 
2号線に復帰すると、交通量がどんどん増えた。
 
 
 
路肩が狭く、しかも交通量のわりに片側1車線ずつしかないので、非常に走り辛い。
 
 
 
街に入ると、なんだかどんよりとした雰囲気を感じた。
 
 
途中のコンビニでは、
なにやら私服の警官と揉める若者がいた。
 
 
姫路城の前を通った時も、
何だかみんなうつむきがちな感じがした。
 
 
 
四国で元ヤンキーみたいなおじいさん2人が言っていた事を思い出す。
 
 
関西は街が死んでいる。
 
 
実際はそんなこと無いだろう。
 
しかし、なぜかその言葉がやけに耳にこびりついた。
 
 
すべては曇り空のせいだろう。
 
 
神戸には丁度17時頃到着。
 
 
待ち合わせの駅のロータリーに入ると、
 
どこからか呼ぶ声が聞こえる。
 
 
 
すると前から見覚えのある顔が!
 
 
そう、甲子園で会った71歳現役自転車乗りの林さんである。
 
 
17日振りの再会に胸が躍った。
 
 
挨拶もそこそこに2人で走り出す。
 
 
やはり剣道家が竹刀で語り合うように、
ボクサーが拳で語り合うように、
自転車乗りはその走り姿で語り合うのだ。
 
 
 
と、思いつつ、普通に話しながら走った。
 
 
また街を少し案内してもらう。
 
 
ダイエー創業の地はびっくりするぐらい小ぢんまりとしていて、
 
高さ60cm程の杭に創業の地的なことが書いてあるだけだった。
 
 
思わず爆笑してしまい、
動揺して写真を撮り忘れた(笑)
 
 
その後、小泉純一郎も大好きプレスリー像とツーショット。 
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そして、林さんの知り合いの方の車で林さん宅へ向かう。
 
 
林さんのご友人、
通称バングラおじさんは、非常にボランティア精神に篤く、
 
その名の通りバングラデシュの子供達に教育の機会をもたらす活動を長年続けている方だった。
 
 
 
林さん宅はすごく洒落ていて、
それでいてものすごく居心地の良い感じだった。
 
 
林さんの奥さんと、
バングラおじさん、
その奥さん、そして、 バングラデシュから刺繍の修行に来たマルシーと6人で夕食。 
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奥さん特製の豆腐料理に見事ハマり、一人でたくさん食べてしまった。
 
 

マルシーは、日本に来て3ヶ月程だったが、日本語の上達も早く、
素直、健気、努力家という3種の神器を持ち合わせていた。


少しはオレの友人一同にわけてもらいたい(笑)




食事をしながら、あるDVDを見た。
 
 
それは、先の震災で被害にあった、宮城県の女川町の様子を撮したモノだった。
 
そう、バングラおじさんは、震災復興の為にテント村を主宰していたのだ。
 
 
悲惨な現実を目の当たりにした。
それを見て、
そして、話を聞いていると、
オレは旅をしていていいのだろうか?
 
という疑問が浮かんだ。
 
旅を始めて23日目。
 
 
初めて浮かんだ疑問だった。
 
 
 
しかし、もうここまで来たのだ。
答えは旅を終えて出す。  
 
そう胸に決めて、その夜は眠った。
 
 
-つづく-
走行距離
 
23日目
長船刀剣美術館〜神戸市林さん邸
130,28km
 
 
追記、
バングラおじさんのテント村、活動情報、支援情報はこちらから
         ↓
http://daijobuya.p1.bindsite.jp/